3月16日_自己肯定という代物の利点と弊害
さいきんいろんな物事に対して気持ちの動きが激しい、けど彼氏さんは相変わらずすき。って言えばいいですか?どうもヨサエです。
ホワイトデーもらったの?って周りから聞かれて、もらってないって言ったら「浮気されないようにね」って言われてかなり凹んだ、、、メンタルボコボコになった、、、。浮気ってワード何も生まれないからやめてくれないか、、、。ヘラル
ただでさえ不確実な要素が多すぎるあーだこーだが最近世の中に溢れすぎていて、いらいらすること多くなってる気がする。ウイルス怖いし、この先どーなんのよ世界、金融市場大丈夫か、おい。的な。
マクロ的に不確実性が高いものって、自分がめちゃくちゃ動いて変えられるものってすくないと思うし、自分自身で変えられる範囲で、できることをやるだけだよなぁ、、、。
どれだけ周りのこと気にしたって結局確実に変えられるものって自分だけじゃん?っていうマインド。もちろん仕事だったりともだちとか大事な人だったりに対して自分が思うことはあるし、場合とタイミングで良いも悪いも伝えるけど、私の言葉や行動をキッカケとして相手が変わるかどうかなんて、その人の考え次第だもんね。
自分の思い通りにならない!!とかっていうのやめよ、相手も人だ。相手の立場になって考えて、思いやりを持って周りの大切にしてる人には接しよ。
◼︎自己肯定
「自己肯定感が低いときのほうが自分は成長できてた」
というようなツイートを拝見したんだけど、ほんとそのとおりだと感じた今日。
自己肯定感低いっていっても、かまって〜的なそれではなく、周りと比較して自分が劣ってしかいなくて迷惑をかけてしまう人間だと思いこむ、とか。
本当に自分のことしか責めれず、誰も頼れなくなってしまうようなことだと自分は思ってる、し、それだった。誰かに頼ることさえ迷惑みたいなそれ。
俗に[ネガティブ]という言葉で一括りにされてはしまうけど、何に対してネガティブかは人それぞれよね。
外見、学力、コミュニケーション能力、恋愛、運動能力、、、。
周りからしたら「?」でしかないんだけどね。そこまで興味もないだろうに、考えすぎちゃうやつ。
「なんでそんなに自分のことを責めるの?」って聞かれたことあるけど、「自分がこうしていたら、こう考えて動けば避けれた。全て自分が悪い」
...いま思えば、ぶっちゃけそう考えるほうが楽なんだよね。他人の責任にしてイライラを外に向けるより、自分にイライラするほうが。イライラした先で自分のことは変えられるし(´-`).。oO
なんかまとまらんけど、ツイート見て、「自分昔ほどネガティブではなくなったけど、その弊害として、悔しいとか負けたくないとか責任感とか、強い気持ちを維持する気持ちがぷつんて切れやすくなったな。自己肯定感の低さがないと、がんばれる度合いの勢いが違うよな」って気づかされたというだけのお話。
筋はあるけど、枝分かれしすぎてとっちらかってるような感覚だなーいまの自分が( ˙-˙ )
いまの自分もすきになれるように動こう